宇都宮LRTの経緯(2) 宇都宮市街地の成り立ちと構造

 1.宇都宮市街地の成り立ちと構造

 宇都宮は、下野国一宮である二荒山神社(ふたあらやま/日光の二荒山神社とは別の神社)の門前町が起源である。神社の神職であった宇都宮氏は、中世には戦国大名化し、宇都宮城を拠点として活動を行った。江戸時代に入ると、奥平氏、本多氏、戸田氏などの歴代藩主が在城する宇都宮藩の藩庁として、また日光街道奥州街道の分岐する宿場町として発展し、現在では二荒山神社付近に県庁が、宇都宮城址付近に市役所が置かれ、街の中心となっている。

 明治に入って1885年に日本鉄道の大宮-宇都宮間が開通し、中心市街地から東に1㎞強離れた場所に宇都宮駅が設けられた。市街地から離れた位置に駅を設けた理由としては、①東北地方へ線路を向かわせるのに、二荒山神社のある明神山から北に伸びる宇都宮丘陵を避けた、②市街地での土地買収を避けた、などの要因が考えられるが、明確なものは残されていない。

 1931年には、東武宇都宮線が開通した。東武宇都宮駅は、郊外移転した刑務所の跡地払い下げを受けて、中心市街地の一角に設けられた。宇都宮駅東武宇都宮駅は1.5㎞離れており、徒歩だと20分程度を要する。

 

 宇都宮の市街地は、市街中心とJR駅周辺の二極構造となり、この間を結ぶ大通りを基軸として各方向にバス路線が展開し、市内交通を担っている。この中で、各系統が重複する宇都宮駅東武宇都宮駅間の大通りでは、朝ピーク時には1時間に100本以上のバスが運行されている。また市街地西部には、かつて旧陸軍施設があり(第14師団が所在していた)、その跡地には作新学院高、宇都宮短大付属高、文星芸大付属高、宇都宮文星女子高が立地し、4校合計で8000人以上の高校生が通っている。この高校生輸送も、多くはバスが担っている。

 このように、JR駅西部に古くからの宇都宮市街地が広がっているのに対し、駅東部は1970年代からの区画整理により整備された市街地である。整然とした広幅員の道路が走り、新市街の印象のある街並みであるが、開発時期がモータリゼーションの普及期と重なったためバス路線の新設は少数に留まり、古くからの街道筋である国道123号線沿いを除いて、公共交通はあまり充実していない。

 

 宇都宮駅東口は、かつては国鉄の留置線が並んでいたが、国鉄民営化の流れの中で機能整理により留置線の一部が廃止され、国鉄清算事業団用地となった。その後開発コンペが行われ、2004年に清水建設を代表とするJVが選定されて開発計画がスタートし、2008年には先行して東口駅前広場が完成した。

 しかし、2009年に景気悪化を理由にJVが辞退届を提出したことで開発は中断し、その後は駐車場や観光客向け餃子店など暫定利用状態が10年近く続いていた。2018年に改めて公募が行われ、野村不動産を代表とするJVにより、2022年開業を目指してコンベンション・ホテル・オフィス・病院・マンション・商業施設を建設することが決定した。

 

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