武蔵小杉新駅(JR東日本・横須賀線)

東京起点:16.8㎞ (西大井-6.4㎞ー新駅ー2.7㎞-新川崎

 

2010年  3月13日 開業

2005年  4月   基本覚書締結
2006年10月   施工協定締結

 

総事業費:168億円

 川崎市:      86億円
 住宅事業者: 60億円(うち40億円は川崎市補助)
 JR東日本: 22億円
※JR負担分は、南武線との連絡通路設置費の50%相当額

 

総事業費・負担割合は、2006年10月27日川崎市記者発表『施行協定の締結について』による

www.city.kawasaki.jp/160/cmsfiles/contents/0000008/8819/061027-2.pdf (リンク切れ)

相模鉄道本線(星川駅~天王町駅)連続立体交差事業

事業期間:2002 年度~2021 年度

事業主体:横浜市道路局
施行主体:相模鉄道株式会社


全体事業費:約 550 億円(国費:約 258 億円、市費:約 212 億円、相模鉄道負担:約 80 億円)

事業区間天王町駅付近~星川駅付近

事業区間延長:約1.9km

踏切除却数:9箇所

 

2017年 3月5日から   下り高架切替
2018年11月24日から 上り高架切替

 

2002年6月5日 都市計画決定

2002年9月   都市計画事業認可
       当初事業費 379億円 完成目標2012年度

2011年9月13日 事業費変更

       379億円が約90億円増加 完成目標変更 2018年度←2012年度

2014年3月 5日 天王町駅部の都市計画変更

2017年2月20日 事業費増

       550億円←465億円(横浜市議会建築・都市整備・道路委員会 報告)

宇都宮ライトレール線

軌道整備事業者:宇都宮市芳賀町

軌道運送事業者:宇都宮ライトレール株式会社

区間:JR宇都宮駅東口(仮称)~本田技研北門(仮称)

距離:14.6㎞

開業予定:2022年3月

 

軌道運送高度化実施計画認定:2016年9月26日

工事施行認可  :2018年3月20日

都市計画決定  :2016年5月31日(宇都宮市芳賀町同日)

都市計画事業認可:2018年3月22日

 

総事業費:458億円(建設費:399億円+車両購入費:59億円(17編成)

費用負担:国(社会資本整備総合交付金):246億3400万円

     宇都宮市芳賀町      :211億6600万円

宇都宮LRTの経緯(5) 運営主体決定と着工ー2014年以降

6.運営主体の決定 - 2014年から2015年

 

 2014年4月に、関東自動車は新聞取材に答える形で、LRT導入を肯定するとともに、営業主体を担うのは地元最大手の公共交通事業者としての責務という考えを表明した。前述のとおり、関東自動車は2012年にみちのりホールディングス傘下に入っており、以前のジェイ・ウィル・パートナーズ傘下時代のLRT反対の姿勢から、180度転換することとなった。

 

 LRTの運営主体については、ここまで具体的な取り組みは進んでいなかった。そこで宇都宮市は、2014年度内に運営主体を決定することを目指して、全国の軌道事業者14社と、地元交通事業者5社に意向調査を行った。その中で、事業参画に関心ありとの回答が、4社から得られた。市は4社の名を明らかにしていないが、新聞紙上では地元の関東自動車、東野交通、JRバス関東の3社と、岡山を本拠とする両備グループの名が挙げられている。

 しかし、その後調整は難航し、目標とした2014年度末を迎えても進捗は見られなかった。水面下では、市・県や地元経済界には、本命として東武鉄道の参画に期待する動きがあったものの、東武側がこれを固辞したと報じられている。また意向調査に応じた4社にも、各社それぞれに課題があると見られ、その中の1社に決めることは厳しいとの見方があった。このような動向を踏まえ、新規の第三セクター会社による運営の可能性も、取りざたされるようになった。

 

 2015年6月に、運営主体の公募手続きが公式に行われた。この公募には、関東自動車だけが応募したが、運転士などの要員確保策が明確に示されず、民間のリスク分担が限定的として、7月に不採択となった。リスク分担については、関東自動車の提案書の中では、開業前資金の市からの借り入れや、開業後に赤字が出た場合の行政補填を求めており、これが運営主体として不十分とされた。

 そして、LRTは大規模な事業のため民間だけで行うにはハードルが高いとして、行政の信用性を持って事業の確実性、安全性を確保できる運営主体である、第三セクターを設立する方針となった。

 出資比率は、宇都宮市芳賀町が51%を保有し、民間から関東自動車10%、東野交通1%、東武鉄道4%、ほかに地元経済界の出資を仰ぐことに決定した。また、社長に宇都宮市副市長、副社長に芳賀町副町長が就き、常勤の常務取締役として元広島電鉄常務が就任する体制で、2015年11月6日に宇都宮ライトレール株式会社が設立された。

 

7.計画の認定と着工までの動き - 2016年以降

 

 2016年1月に、宇都宮市芳賀町・宇都宮ライトレールの3者は、軌道運送高度化実施計画の認定申請を行った。これは、地域公共交通活性化及び再生に関する法律に基づいた、上下分離方式による軌道の整備計画である。

 軌道運送高度化計画は、軌道法のみなし特許に相当する事案のため、運輸審議会の審議案件となり、7月の公聴会を経て、9月に認定することが適当との審議会答申が行われた。この答申を受け、2016年9月に国土交通大臣により高度化計画が認定された。

 並行して、LRT路線の都市計画手続きも進められ、2016年5月に都市計画決定の告示が行われている。

 

 高度化計画認定後の2016年11月の宇都宮市長選挙では、現職の佐藤市長と、LRT反対を唱える対立候補との一騎打ちとなった。対立候補は、LRT中止を全面に掲げた一点突破戦術で挑み、この戦術に現職も巻き込まれることとなり、選挙戦はLRT反対論とそれに対する釈明・防戦に終始する、シングルイシューの様相を呈した。

 結果としては、佐藤市長が4選を果たしたものの、得票率の差は3.6ポイントで、僅差の接戦であった。

 

 当初宇都宮市は、高度化計画認定後すみやかに工事施行認可申請を提出し、2016年度内の着工を予定していたが、この情勢から年度内着工を延期し、着工までの間に再度の市民説明と広報の強化を行っていく方針とした。その後、沿線5地区での事業説明会や、市内各所でのオープンハウスの開催、沿線ショッピングモールへの常設の情報発信拠点の開設などを行い、着工に向けた機運が高まってきた。

 2017年9月の宇都宮市議会では、LRTの手続きに関する議案に対して、民進党系会派が賛成に転じている。

 

 そして、2017年8月に工事施行認可申請が行われ、2018年3月に認可がおり、5月には起工式が挙行されて、2022年3月開業を目指して工事に着手した。

 

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宇都宮LRTの経緯(4) 検討の停滞と再開ー2006年から2013年ー

4.関東自動車の反対と検討の停滞 - 2006年から2010年

 

 LRT検討の中心となった宇都宮市は、2006年4月に「LRT導入推進室」を設置し、新交通システム導入課題検討委員会を主催して検討を継続した。

 2007年3月にまとめられた委員会報告書では、①LRT整備は公設民営方式を想定、②公共交通事業者の経営ノウハウの活用を前提として民間事業者が参画できる運営形態を具体化する、とされており、また、公共交通全体の利便性向上策を主体とした基本理念の実現に向けて、交通事業者と共に取り組んでいくこととされた。

 この間2006年11月には、大通りで一般車の通行を禁止し、バスのみを走らせるトランジットモール実験が行われている。

 

 宇都宮市内のバス交通は、関東自動車、東野交通、JRバス関東の3社により運行されており、そのうち多くの割合を関東自動車が占めている。関東自動車宇都宮市の発展と合わせ路線を拡大し、市内、県内に多くの路線を有していたが、経営不振に陥り2004年11月に産業再生機構に対し支援要請を行った。再生機構の支援による経営再建は2006年5月に終了し、株式譲渡が行われて投資会社ジェイ・ウィル・パートナーズの傘下会社となった。

 その後の関東自動車の動向には、買収企業の価値棄損を最小化することで企業価値を高め、保有資産の優良化を図るというファンドの意向が強く働いているものと見られる。

 2007年7月に、関東自動車は「LRT導入は(関東自動車の)企業再生に逆行する」との意見書を市に提出して、関係者間で開催される検討委員会への不参加を表明した。9月には、①LRTに反対、②事業者・出資者にはならない、③LRT導入の場合、路線バス事業から全面撤回せざるを得ない、と市に通告し、LRT反対の旗幟を鮮明にした。これにより、運営主体の有力候補の一つが消えただけでなく、公共交通網再編についても正面から対決姿勢を取ることとなり、宇都宮市主導となって進むかと思われたLRT検討は、再び暗礁に乗り上げることとなった。

 

 関東自動車の合意が得られない中で、2009年3月まで検討委員会が開催され、報告書がまとめられた。この時点では、LRT導入が具体化できる状況ではなかったが、市は検討内容についての説明会を引き続いて開催し、市民理解の促進を図ることを予定した。

 2009年8月の衆議院議員選挙で、民主党が第一党となり、自民党からの政権交代が行われた。民主党政権は政治主導を強く打ち出し、これまでの官僚主体の政治システムからの転換を図ろうとした。地方でも、国に対し予算・要望などを上げていく過程において、民主党県総支部連合会(県連)の関与が強化された。これにより、栃木県連代表である福田(昭)代議士の影響力が県政・市政の場で強まることとなり、2009年10月に民主党栃木県連はLRT反対の申入れを県・市に行った。

 このような情勢変化を踏まえ、これまでLRT推進の立場をとってきた宇都宮市議会自民党からも、「政権交代で先行き不透明なため、LRT住民説明会を一時先送りすべき」との要望が出された。

 

 2010年4月の宇都宮市組織改正で、LRT導入推進室は廃止となり、LRT導入の動きはほぼストップした。

 

5.検討の再開と反対派の動向 ― 2013年

 

 2012年11月に行われた宇都宮市長選挙で、佐藤市長が3選を果たした。過去の選挙(特に2008年の2選目)では、LRTの賛否があまりに政治問題と化してしまったため、LRTを前面に打ち出さない選挙戦術を意図していた佐藤市長だが、3選を目指すこの選挙では、LRT導入の是非を最大の争点として挑んだ。その結果は、対立候補に2倍以上の得票差をつけて当選というもので、佐藤市長はこれにより市民の負託を受けたとして、LRT推進を加速化させることとなった。

 また、2012年4月には関東自動車みちのりホールディングス傘下に入り、地域の公共交通を担う企業としてこれまでの反対姿勢を軟化させる様相を見せ、12月の衆議院選では自民党が第一党に返り咲くなど、周辺状況も変化してきた。

 

 2013年1月に、宇都宮市は再び「LRT整備推進室」を設置し、3月に「東西基幹公共交通の実現に向けた基本方針」を公表した。この中で、JR宇都宮駅東側12㎞を優先整備区間として、公設型上下分離方式によりLRTを整備する方針が再確認された。4月には国土交通省から副市長を招聘し、本格検討を開始した。

 10月に芳賀町から、芳賀町内の芳賀・高根沢工業団地にあるホンダ技研の工場まで、LRT計画路線を延長する要望が出された。この要望を受け、LRT路線を芳賀町まで伸ばし、宇都宮駅東口からの全15㎞として検討を進めることとなった。また、宇都宮市芳賀町共同で芳賀・宇都宮基幹公共交通検討委員会が設立され、この委員会で需要予測、快速列車を導入した運行計画、事業費整理などが行われ、実現に向けて深度化が行われた

 

 LRT検討が再開される中で、反対活動も引き続いて行われていた。反対派の主な主張は/事業費が巨大で、市財政に悪影響を与える/需要予測の内容が不明確で、利用者が少なく不採算の恐れがある/LRTで道路の車線数が減り、渋滞が悪化する/渋滞対策は鬼怒川新橋などで対応できる/バスとの乗り継ぎはかえって不便になる/市民との合意形成が不十分/といったものである。大きく分けると、①そもそも論として巨大公共事業の必要性(と採算性)、②対案としての市内交通のあり方論(クルマに対応した道路整備+バス交通を充実)、③合意形成、の3つに分類される。

 反対派の組織化は、2006年に民主党県連の呼びかけにより行われ、活動が活発化した。2014年1月と2015年3月には、2度にわたって署名活動を行い、LRT導入に関する住民投票の実施を求めたが、いずれも市議会で否決されている。その後も、反対集会を開いたり、市議会への陳情を行うなど、活動は続いている。

 

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宇都宮LRTの経緯(3) LRT構想の萌芽と政治的混迷-2005年まで

2.工業団地とLRT構想の萌芽 - 2003年まで

  1976年に造成が完了した清原工業団地は、市街地から10㎞離れた市東部の鬼怒川左岸に位置し、内陸型としては国内最大規模(総面積387ha)の工業団地である。キヤノンカルビー中外製薬などの工場が立地しており、従業者数合計は1万人である。工業団地内には、県内最大の宇都宮清原球場(収容3万人)、Jリーグ栃木SCの本拠であるグリーンスタジアム(収容1万8千人)も位置している。

 清原工業団地の北には、2013年に事業完了した、宇都宮テクノポリス地区がある。UR(都市再生機構)の区画整理により造成されたニュータウンで、計画人口は1万3千人である。

 さらにその東の芳賀町域には、芳賀工業団地と芳賀・高根沢工業団地が作られ、ホンダ技研とその関連企業を中心に、従業者数は2万2千人を数える。

 

 LRT構想が初めて公に語られたのは、1993年の宇都宮市街地開発組合の議会において、組合長である渡辺文雄栃木県知事が導入意向を表明した時にさかのぼる。この組合は、清原工業団地造成のために、栃木県と宇都宮市の共同出資で設置された一部事務組合(特別地方公共団体)であり、知事発言を受けて組合内に「新交通システム研究会」を設け、検討を開始した。

 当時から、宇都宮市街地と工業団地の間の道路渋滞は深刻化しており、これに対応するために公共交通機関の導入検討を開始したとされる。また、工業団地が造成、分譲されていた当時から、将来モノレールを導入して従業者輸送を行うといったことが、アイデアレベルで存在していたという。

 その後、検討の主体は県・市に移行し、2001年には方式としてLRTを導入する基本方針が定まり、2003年には基本計画が策定される。ここまでの検討は、県を中心としておおむね順調に進んでいたように見える。しかし、この途上2000年の県知事選挙で福田(昭)氏が当選したことから、LRT計画の混迷が始まる。

 

3.知事交代と政治的混迷 - 2003年から2005年

 

 福田昭夫氏(1948年生まれ)は今市出身で、東北大卒業後に今市市職員となり、財政課長の職にあった1991年に今市市長に当選した。そして、2000年11月には知事選に立候補し、5選を目指して自民党などの推薦を受けた現職の渡辺知事と、選挙戦を繰り広げた。

 当時の福田(昭)氏は保守系無所属とされており、いわゆる保守分裂選挙の様相となったが、既存政党の支持を受けなかった福田(昭)氏が無党派ブームに乗る形で支持を広げ、875票の僅差で初当選を果たした。

 当選後の福田(昭)知事は、ダム建設の見直しなど改革派的動きを強め、LRTについても否定的な立場をとり、それがLRT計画に大きな影響を与えていく。

 

 2003年5月に、「新交通システム導入基本計画策定調査報告書」が公表された。これは、栃木県と宇都宮市がとりまとめたLRTの基本計画であり、①駅西側の桜十文字付近から宇都宮テクノポリス間の延長15㎞にLRTを導入し、②そのうち駅東側の12㎞が当初計画区間と定めたもので、渡辺知事時代からの検討を継続した内容であった。

 ところが、福田(昭)知事は「事業費過大で採算性が確保できない。」としてこの報告書に対して否定的な見解を表明し、この知事の意向を反映して、県の姿勢も変化していく。

 2003年9月に、栃木県は宇都宮市に対して、今後の進め方について2つの案を提示した。A案は「今後5年間程度整備スケジュール検討を凍結し、鬼怒川渡河部の交通渋滞緩和や中心市街地の活性化など、直面する様々な課題整理を優先する」、B案は「市が速やかに整備にとりかかりたい場合は、市が主体となり県は支援協力する」というものであった。この時点で、県によるLRT検討はストップすることとなった。

 宇都宮市は県に対し、県・市が引き続き一体となって検討を続けることを要請したが、2004年7月には知事がLRTの凍結方針を改めて表明するなど、進展は図られなかった。

 

 2004年11月に行われた知事選では、再選を目指す福田昭夫知事に対し、自民党推薦の福田富一宇都宮市長が挑み、12万票差で福田(富)氏が初当選した。福田(富)氏も今市出身(1953年生まれ)で、宇都宮工業高を卒業して県庁職員となり、29歳で宇都宮市議当選、その後県議を経て1999年に宇都宮市長に就任し、市長2期目での知事選立候補であった。福田(富)氏が知事に転出した宇都宮市長には、新宇都宮カントリークラブ社長で、日本青年会議所副会頭などを歴任し、福田(富)氏の後援者の一人であった佐藤栄一氏(1961年生まれ)が当選した。

 宇都宮市長時代の福田富一氏は、渡辺元知事と連携して、県・市一体となったLRT検討を推進していた。知事就任後もその姿勢は変わらなかったが、もはや時計の針が戻ることはなく、これ以降のLRT検討は宇都宮市を中心として進むことになり、県はこれを支援する立場となった。

 また、落選した福田昭夫氏は、2005年9月の衆議院選挙に栃木2区(鹿沼・今市・日光など)から民主党公認で立候補し、比例復活で当選を果たした。その後現在まで5期連続当選を続け、現在は立憲民主党所属である。LRTに対しては一貫して反対の姿勢を崩しておらず、LRT反対団体と連携し前面に立って活動している。福田(昭)代議士が代表を務めていた民主党栃木県連も、2006年からLRT反対を唱えている。

 

 このように、民意を受けた選挙の結果および首長の意向で、LRT導入方針がめまぐるしく変化したこと、また現職の県選出国会議員が反対活動の中心にいることなどから、LRTに対する賛成・反対は政治問題化し、その後今に至る長い議論が続いていくこととなった。

 

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宇都宮LRTの経緯(2) 宇都宮市街地の成り立ちと構造

 1.宇都宮市街地の成り立ちと構造

 宇都宮は、下野国一宮である二荒山神社(ふたあらやま/日光の二荒山神社とは別の神社)の門前町が起源である。神社の神職であった宇都宮氏は、中世には戦国大名化し、宇都宮城を拠点として活動を行った。江戸時代に入ると、奥平氏、本多氏、戸田氏などの歴代藩主が在城する宇都宮藩の藩庁として、また日光街道奥州街道の分岐する宿場町として発展し、現在では二荒山神社付近に県庁が、宇都宮城址付近に市役所が置かれ、街の中心となっている。

 明治に入って1885年に日本鉄道の大宮-宇都宮間が開通し、中心市街地から東に1㎞強離れた場所に宇都宮駅が設けられた。市街地から離れた位置に駅を設けた理由としては、①東北地方へ線路を向かわせるのに、二荒山神社のある明神山から北に伸びる宇都宮丘陵を避けた、②市街地での土地買収を避けた、などの要因が考えられるが、明確なものは残されていない。

 1931年には、東武宇都宮線が開通した。東武宇都宮駅は、郊外移転した刑務所の跡地払い下げを受けて、中心市街地の一角に設けられた。宇都宮駅東武宇都宮駅は1.5㎞離れており、徒歩だと20分程度を要する。

 

 宇都宮の市街地は、市街中心とJR駅周辺の二極構造となり、この間を結ぶ大通りを基軸として各方向にバス路線が展開し、市内交通を担っている。この中で、各系統が重複する宇都宮駅東武宇都宮駅間の大通りでは、朝ピーク時には1時間に100本以上のバスが運行されている。また市街地西部には、かつて旧陸軍施設があり(第14師団が所在していた)、その跡地には作新学院高、宇都宮短大付属高、文星芸大付属高、宇都宮文星女子高が立地し、4校合計で8000人以上の高校生が通っている。この高校生輸送も、多くはバスが担っている。

 このように、JR駅西部に古くからの宇都宮市街地が広がっているのに対し、駅東部は1970年代からの区画整理により整備された市街地である。整然とした広幅員の道路が走り、新市街の印象のある街並みであるが、開発時期がモータリゼーションの普及期と重なったためバス路線の新設は少数に留まり、古くからの街道筋である国道123号線沿いを除いて、公共交通はあまり充実していない。

 

 宇都宮駅東口は、かつては国鉄の留置線が並んでいたが、国鉄民営化の流れの中で機能整理により留置線の一部が廃止され、国鉄清算事業団用地となった。その後開発コンペが行われ、2004年に清水建設を代表とするJVが選定されて開発計画がスタートし、2008年には先行して東口駅前広場が完成した。

 しかし、2009年に景気悪化を理由にJVが辞退届を提出したことで開発は中断し、その後は駐車場や観光客向け餃子店など暫定利用状態が10年近く続いていた。2018年に改めて公募が行われ、野村不動産を代表とするJVにより、2022年開業を目指してコンベンション・ホテル・オフィス・病院・マンション・商業施設を建設することが決定した。

 

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